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歴史

この心地よい場所はハワイ島北部に横たわるコハラ山脈とマウナケアの間にあり、ワイピ オ渓谷は7つの渓谷の中で一番大きな渓谷となっています。またワイピオ渓谷を流れる川、 「ワイピオ川」は900メートル以上の断崖から始まり、幾度となく曲がりくねりながら、 魚の池、自然の要塞や豊富な資源の場所を通りながら海へとたどり着きます。ハワイ語の 「ワイピオ」とは“曲がりくねった水”を意味します。古代旅をしていたポリネシア人にと ってこの場所は「故郷」と呼ぶに値したそうです。 古代の開拓民はカヌーによって持ち込まれた根を渓谷の豊富な土壌に植えました。ワイピオはワイピオ川の豊富な水量と、栄養豊かな土壌によりロイカロ(タロイモ畑)や作物がよ く育ち、海の幸にも恵まれていました。このハワイの愛おしい耕作は次第に広範囲に広がり ました。住民たちは必要な分だけ食料を供給していたため、これらの食べ物は防護されてい ました。この場所へ行くには 崖の上にある王や女王を君臨する王国から急な要塞を下って 行くか、カヌーでないと行けませんでした。規則を破った者はアリイ(組織のかしら)によ って容赦なく裁かれました。リロアと彼の息子ウミを含むワイピオの有名なアリイは島全 体を1つの王国に統一することが出来ました。古代ハワイアンはワイピオの至る所にヘイ アウを建てました。(ヘイアウ;古代ハワイアンが建てた神社、神殿)。 ルアキニ、プウホヌアを仕えるもっとも神聖なパカアラナがあります 。 (ルアキニ;ハワイ宗教上のヘイアウで“いけにえ”をささげる場所。プウホヌア;規則を 破った人たちが逃げこむ場所。) キャプテンクックが1778年にハワイに上陸し、ハワイの列島は大きく変わりました。 1793年 キャプテンクックのアドバイスにより初めて家畜が運ばれ、キングカメハメハ 王はこれらの動物をカプ(禁止)としました。牛や馬などの群れは次第に増えるなか、野生 の長牛角は急速に増えました。メキシコの放畜者(メキシカンカウボーイ)達が家畜の群れ を集め、それがのちにパニオロ、ハワイのカーボウイの始まりとなりました。カロ畑や田ん ぼの農場経営者によって これらの馬たちはロバと一緒にワイピオに連れて来られました。 農場者はポイ、カロ、餅、オコレハロを作りました。
カロ:ハワイの主食でもあるポイをつくる芋。お水と一緒にこねてポイを作ります。 ルアウ:カロの葉
オコレハロ:ハワイの密造酒
この間 ワイピオは製造産業が豊かとなり、ポイ工場、精米所、学校、教会や刑務所が出来 ましたが、サトウキビ農園により、地元のお米の値段が落ちてしまいました。1946年に は大津波に襲われ、たくさんの住人がこの地を去りました。
今日 唯一 野生の馬の群れがいるのはハワイだけであり、人々はこれらの飼いならされて いない馬たちが自由に渓谷を歩いている事に驚かされています。これらの群れは‘ハワイア ポニー‘の直系の子孫で、この馬たちはアメリカ本土の馬に比べ、足がしっかりとしており、 湿った場所や岩場、ワイピオのぬかるみなどに適しています。

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